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お多福美人講座美しさは福を呼ぶ

2019 Oct. 25
お多福美人

許可することの大切さ その1

 

 

この前の記事で、

望む人生を生きるためにとても大切なのは、

「許可」

だと書きました。

 

一言で言えば、

「幸せになることを自分が許可する」

ということなのですが、多くの人が、

「私は幸せになりたいと思っているし、幸せになることを自分に許可もしている!」

と思っていると思います。

私も、自分が幸せになることを許していないなんて考えもしませんでした。

 

ところが、自分が欲しいと思っているものを手に入れている人を見たり、

素晴らしいと感じるものを目の前にした時に、

「どうせ」

という気持ちが芽生えたとしたら、自分が幸せになることを、

自分が許していない可能性があるのです。

 

例えば、「素敵な恋がしたい」とか「うんと愛されたい」

という願いを持っていて、自分では

「恋をすることも愛されることも許可している」

と思っているつもりだとします。

そんな時、素敵な男性が前から歩いて来たとして、

「わ〜、素敵な人!あんな人と恋がしたいな」

とか、

「あんな人に愛されたいな」

と素直に思えたなら、実際におおかた自分への許可済みと思えます。

 

ところが、素敵な人を見た途端、

「どうせ私なんて、綺麗じゃないし」

「若くないし」

「魅力がないし」

 

「きっと相手にされないよね」

と思ってしまったとしたら、許可ができていない可能性大なのです。

 

その上、

「身の程をわきまえずに素敵だと思った私は恥ずかしい」

と思ったり、

素敵な男性を拒絶するような動きをしたり、

最初から避けるようなことをしているとしたら、

許可できていない度は相当高いと思われます。

 

どうして、こういったことが許可していないことになるかというと、

綺麗じゃなくても、

若くなくても、

一見魅力的に見えなくても、恋をしたり、愛される可能性はあるからです。

 

確かに、若くて綺麗な女性が好きな男性は、多いと思います。

 

でも、

60代後半で、美人じゃなくて、わがままをいっぱい言うのにモテモテの女性を私は知っています。

そしてその女性は、

「若くないから」

「美人じゃないから」

 

「だから私は愛されない」

などとは、ちっとも思ってないのです。

 

「男が私に尽くすのは当たり前」

と心の底から思っているのです。

 

自分が、心の底から思っている信念に沿って現実が創られるのですから、

「愛されて当然。愛されるのが普通」

と思っている人が愛されるのは、それこそ当然。

 

そして、残酷なことですが、

「どうせ私なんか」

と思っている人が、

「どうせ私なんか」

と思う人生を生きてしまうのも、また当然なのです。

 

自分のことを、

「どうせ」

と思ってしまう時は、

自分で自分の価値を認めず、自分を低く見積もって、

いろんな可能性があることすら認めてあげていないのです。

 

数年に一度くらいの割合で、

地方のスナックのホステスが、男性を連続殺人して逮捕されるこという事件がありますが、

殺された男性はホステスにベタ惚れのことが多く、そのホステスが美人かと言えば、

「体型も、顔の造りも大変にユニーク」ですよね。

 

ところが、そのホステスの容疑者を取材している記者などが、

取材しているうちにホステスにぞっこんになり、獄中結婚なんていうことも

珍しくありません。

 

関わりある男性の命を狙ったとことがあるとされる、

体型も顔も一般的な美の基準からは大きく外れた女性と、

一度も触れることすらなく、

料理を作ってもらうことも、肩を揉んでもらうこともなく、

結婚を決める男性がいる可能性も、なんと0%ではないのです。

そういう風に、男を狂わす女性に共通しているのはやはり、

「私は男に愛されて当然」

という揺るぎない自信です。

自分の可能性を0%と見積もらないから、実際に可能性がでてくるのです。

 

もし、連続殺人が本当だとしたら、

「男に愛される」

ということに関しては大いに許可を出していても、

「まともに生きていれば、豊かに暮らせる」

とか、

「好きになった人に愛されて、その人とずっと幸せに暮らせる」

ということに関しては、全く許可が出ていなかったのだと思いますが・・・

 

人は、何かにつけて

私はこういう悪い部分がある

だからうまくいかない

という図式を立ててしまいますが、

その図式こそが、自分の幸せを大いに阻んでいるのです。

 

許可することが、望むものを手に入れるための、とても大きな、大事な一歩なのです。

そこさえクリアできれば、たいした努力さえ必要なしに、望むものが飛び込んでくる、という経験をするようになります。

 

花柳界にいる時、超絶美人な銀座のホステスさんにも何人か知り合いがいました(超絶という言葉を、人生で初めて使ってみました)笑。

その、ホステスさんの彼氏がかっこいいかというと、???

 

「お金持ちなんでしょ」、とか、「中身が素敵なんでしょ」

ときかれたら、それまた???

 

なぜか、おデブさんが多かったのですが、

みんなに共通していたのは、

「俺ってモテるデブ」

と思っていること。

 

デブはけして、マイナス要因ではありません。

私も、デブかどうかは、男の人を好きになる時全く関係ないですし、

ファザコン気味の女性の中には、「お腹が出ている方が好き」という人も少なくありません。

「デブ」

という事実に何をくっつけるかは、全くその人の自由!

問題なのは、「デブ」を、何かがうまくいかない理由にしてしまう、その意識の方なのです。

どうせ「デブ」だから「モテない」

というふうに、

「デブ」と「モテない」をイコールで結ぼうとしている意識こそが、モテない現実を創るのです。

「デブ」だから(頼り甲斐があって)「モテる」

「デブ」だから(触り心地が良くて)「モテる」

こんな風にイコールで結んでもいいのです。

 

ズッコケ三人組にでてくるモーちゃんのような「優しいおデブさん」のような人、私は大好きです。

そして、超絶美人のおデブ彼氏は、他にも彼女がいることが多かったのも、事実。

 

「女は俺に惚れる」

というのを心の底から信じていて、

そうなることを許可しているから、

実際そういう現実を創っているのです。

 

自分に、

「私には無理」

「できない」

とすぐ考える癖があることに気づいたら、

どんどん自分に許可を出していきましょう。

と、書くのは簡単ですが、

「すぐに許可ができたら苦労しないよ」

と思うこともありますよね。

 

次のブログでは、

「許可できないときの考え方」

について書こうと思います。

 

 

 

写真のモンブランは、

岐阜県各務原市のカフェ

「山脈」

のモンブラン。

息子が幼稚園の頃からの

「ママはもう関係なく、友達!」

の友人と、久々に会ってきました。

以前はこういう時間を持つことすら自分に許可していない時期があって、

「自分が好きな人と、楽しい時間を過ごす」

ということが許可できるようになって、本当によかった。

 

子育て中のママ、もし、いろいろ自分を縛っているとしたら、

「子供がいても、会いたい人に会ったり、行きたいところに行ったり、やりたいことをやっても、悪くないんだ」

って、思ってくださいね。

大事なので、最後にもう一度

許可することが、望むものを手に入れるための、とても大きな、大事な一歩なのです!

 

追記

後々、他の記事にも書いていく予定ですが、

「自分に自分で◯をする」

って、幸せを感じながら生きるには、何にも増して大切なこと。

だから、

「私、許可できてなかった。ダメね」

と思わずに、

「許可できない私でもいいんだよ」

って、自分に◯をつけてくださいね。