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お多福美人講座美しさは福を呼ぶ

2019 Oct. 31
お多福美人

「また感情のどん底に来た」と思ったら

 

「小さいときからずっとそうだった」

「いつまでこんなことが続くんだろう」

「私の人生では、死ぬまでこういうことが繰り返されるんだろうか」

 

そんなふうにどん底感を味わうこと、生きていればあることだと思います。

 

「不安なときに、親にも甘えられなかった」

「自分の辛さをわかってもらおうとしたら、こっちはもっと大変だと怒られた」

「悲しくて泣いていたら、責められた」

 

そういう、幼い頃からの傷が、

「私は誰からも守ってもらえない」

「本当の気持ちを出したら嫌われる」

という思い込みを産み、

嫌われないように、自分の気持ちより人の気持ちを優先して生きることで、

ますます人にわかってもらえないと感じる体験が増えていきます。

 

そして、周りから見れば、きちんと仕事もして、

いい人だとも思われていて、

楽しそうに見えているのに、

本人は

「どん底だ」

と感じることがたびたびあるのです。

 

責任感の強い、真面目な頑張り屋さんは、

こういう孤独を抱えることが多いように思います。

 

自分一人で頑張らないと、という気持ちで実際にうんと頑張ってきたのに、

心のあちこちが痛くて、

でも痛いと人に言うのも怖くて、

どこにも出口がないように感じますよね。

 

彼氏や旦那さんや子供との関係。

経済的なこと、仕事のこと、

全てがぐちゃぐちゃでダメなような気がして、

 

「私なんて生きててもしょうがない」

「人生が早く終わればいいのに」

という気持ちで心が真っ黒になることもあると思います。

 

そこまでいかなくても、

やる気が起きなかったり、

自分が惨めに思えたり、

焦ったり・・・

 

そんなとき、

自分では、

これ以上ないほど自分の感情を味わい尽くしているような気がしていると思います。

タールのようだったり

どんよりと沈んでいたり

血が出ているようだったり

 

でも、

「悲しい」

「苦しい」

と感じている気持ちをしっかり受け止めて、

その感情を味わって、

「悲しいよね」

「苦しいよね」

と寄り添うことはできていないことが多いと思うのです。

 

どちらかといえば、

「私は誰からも守ってもらえない」

「本当の気持ちを出したら嫌われる」

という思い込みや、

「私なんて生きててもしょうがない」

「人生が早く終わればいいのに」

ということばかりがぐるぐる頭を回って、

「今自分が感じている気持ちをちゃんと受け止めてあげる」

ということが置いてけぼりになっていると思うのです。

 

気分が落ち込んだときや、

出口がないように感じるときは、

もうこの先もどうせいいことなんてないという気になるし、

生きていてもしょうがないような気がしますが、

なんとかその気持ちを立て直さなくてはなりません。

 

そんなとき、

「なりたい姿を描きましょう!」

とか、

「無理にでも笑顔になってみましょう!」

とか、

「ネガティブな感情はさらなるネガティブを生むので、明るい気持ちに切り替えましょう」

とかいう方法は、私にはピンときません。

でも、これで立ち直れる人はこの方法でOK!

 

それが難しいという人は、これから書くやり方を試してみてください。

 

私が立ち直るときに、大事だと思っているのは、

「どうせ私は・・・」

とか、

「いつまでもこんな惨めな気持ちでいるのか・・・」

というネガティブな思考でいっぱいの心の根本にある、

「苦しい」

「悲しい」

という思いを見ること。

 

どん底真っ只中のときは、

その余裕がなく、

そこに気持ちを向けることを忘れて、

「無限ループの悲観」

を続けることがありますが、

どこかのチャンスで、

「もうお腹いっぱい」

と感じられたら、

我に返って

「気持ちの手当てしてあげよう」

と思うようにするのです。

 

誰も寄り添ってくれなかったと感じている

「悲しみ」

「苦しみ」

なら、せめて自分くらいはその気持ちに寄り添ってあげなくてはいけません。

 

 

その上で、

「なりたい姿を描きましょう!」

ほど一気に前向きになろうとするのではなく、

「これは嫌なんだよね。

じゃあ、どんなだったらいいなと思えるのかな」と、

嫌なことを元に、

「こういうのだったらいいな」

「こういう感じが嬉しい」

というのを考えてみるのです。

 

嫌なことは、本当に望むことを知るための貴重な材料。

「これは嫌。じゃあ、どういうのがいい?」

と、自分の願いを知ること。

 

そして、時間という味方を得て、

日々の雑事に紛らわせながら、

少しづつ気分を上げていく。

 

どん底気分が油断してスキを見せたときに、

自分がほっとすることをしたり、

リラックスできることをしたりする。

 

そこに行き着くために大切なのは、

「どん底って思っててもいい!!」

「ネガティブな感情を抱いたっていい!!」

と、自分に◯をつけること。

 

 

「落ち込んだらダメ

とか、

ネガティブな感情を持ったらダメ

なんて思わずに、

落ち込んでて、

どん底って思ってて、

悲しくて辛い私にも◯」

 

と思うようにするのです。

 

真面目な人は、

悲しいことがあって傷つくことすら自分に許せないことがあります。

「早く前向きにならないと!」

と、自分で自分の感情を押し殺させようとします。

 

でもそれは、子供の頃から自分がされて嫌だったこと。

 

「いいよいいよ。悲しいよね」

「元気が出るまでとことん落ち込んだら、また勝手に立ち直るから、

慌てず行こうね」

 

と、自分に優しく言ってあげる。

 

どん底にいるときに、

一番早く

傷口が綺麗に治る治療法は、

「とことんどん底を味わう自分を許すこと」

「落ち込んでたっていいよ!」

と思うこと。

 

「また、感情のズンドコ節来たね〜」

ぐらいに思えればすごくいい。

 

 

そして余裕が出てきたらもう一つ、

「この最低な気分が、すごくいいことに繋がっているとしたら、

それはどんなこととだろう」

と考えてみます。

 

実際、どん底経験はいつでもかなりいいことと結びついたりしています。

 

それから、

「じゃあ、どうなったら嬉しい?」

と考える。

 

自分のネガティブな感情は、

本当に欲しいものを知るためのとっても大切な原料。

 

そしてもし、頻繁にどん底気分を味わっているなら、

他人やメディアから影響を受けて、

「大切にされない」

とか、

「私はダメ」

という思い込みを強化していることも大いに考えられます。

本当の自分の気持ちではなく、

自分が感じたわけでもなく、

人の気持ちに共鳴現象を起こして、

「どん底」を自分の人生に持ち込んでしまうのです。

 

テレビも映画も悲惨なニュースも、

自分が

「どん底」

と感じる伏線を、自分でも気づかないうちにはっている可能性があるのです。

 

人間だから、

「君たちがいて、僕がいる」状態で、

互いに影響をしあうのは致し方ないですが、

進んで悲しい話や悲惨な話ばかり読んだり聞いたりしないことも、

どん底を頻繁に経験しないためには必要です。

 

また、幼い頃に持ってしまった観念は、

見つけるたびに書き換えたらいいけれど、

すぐには無理なこともあるから、

その観念が引き金になって落ちこむこともあるかもしれない。

 

でも、そんな自分だってあり。

落ち込んだってオッケー。

ネガティブでもいい。

自分だけは自分の

「悲しいよう」

「苦しいよう」

に付き合ってあげる。

 

そして、思い出したら

「これってすっごくいいことに繋がってるかもね」

と考えてみる。

「こういうのは嫌。

どんなのがいい?」

と考えてみる。

 

 

そんな流れで感情の濁流をやり過ごして、

少しづつまた日常に戻って行ったら充分。

 

そういう気持ちが、

「どん底」

を乗り切るときに役に立つと思っています。

 

どんなときの自分も◯なのです。