女のいろいろ

 

 

 

昔から、

「レトロなビールの看板の人にそっくり」

と言われることが多かったのですが

(高松塚古墳の壁画とか、平安時代の人とか、要は昔の顔で

思春期の頃には涙することがありました・・・)

この絵を淀屋橋でみたときには、あつかましいのを承知で書くと、

「わたし?」

と思いました。

 

つくづくと、古い顔を実感します・・・

 

古い顔が幸いしてか、芸者時代は本当に幸せな、楽しい経験をたくさんさせていただきました。

 

花柳界に入ることを夢見たのは、

着物をよく着せてくれた祖母の影響もさることながら

言葉や生活様式などの伝統あるものへの憧れ

女ばかりが集まる特殊な世界への興味などもあったのだと思います。

 

ハレの日が日常である華やかな世界をうんと見せていただいて

芸者を辞める頃の私は、ケの世界への憧れと

その日々を粛々とおくる女性への尊敬でいっぱいでした。

自分もそうなりたい、いや、そうでなければ女としてダメなんだと思い、

自分の実力を直視しないまま、なおかつ

完璧を求めるという苦しい循環の中にいました。

今は、

「自分の心が動くことに素直になって、

できないことでやりたくないことは、

もうしない」

「関心のあることを追いかけることに時間を使う」

という心境です。

 

私はやっぱり女の暮らしに興味があって、

世代、人種、時代、地域、個性・・・

いろんな場所のいろんな生き方をとっても知りたいのです。

そしてそこから、女としての知恵を授かったり、

豊かな人生をおくるヒントをもらったり

生きる活力をわかせたり

より良い未来へ思いを馳せる手掛かりとしたい、

多分、そんな風に思っているんだと思います。

 

この前から読んでいる

「小林カツ代と栗原はるみ 料理研究家とその時代」

阿古 真理

(新潮新書)

を読んで、自分が勝手に縛っていた自分への縄が消えたような気がしました。

 

どんなことを感じたか、また次に書こうと思います。

 

最近のトキメキ

6月は安全大会シーズン!

そもそも、講演を始めて安全大会から依頼をいただくまで、

安全大会なるものがあることを知りませんでした。

建築現場など、命にかかわる仕事をされているかたの安全に対する意識を強化する目的の会で、

6.7月に多く開催されます。

今年は6月の半分以上が安全大会という、まさに私にとっても安全大会月間でした。

講演では、コミュニケーションについてお話ししています。

移動が多いので、その間の読書がとっても楽しみ。

(写真は移動中に初めてみたドクターイエローで、名古屋で見た後、大阪に着くとまたそこにもあって、この日はドクターイエローの日でした。)

最近ときめいている作家さんがいます。

それは

澤田瞳子さん

「与楽の飯」

という大仏建立の奈良時代の物語にグッときました。

同志社大学、大学院とすすまれて、京都在住。

私の一つ年下でいらっしゃるとか。

言葉の美しさと奈良時代という、歴史小説ではなかなか描かれない時代にトキメキ、

登場人物の心の機微を織りなす、作者の人への向かい方の深さに、感銘を受け、

ただ今すっかり虜です。

秋萩の散る(奈良時代)

関越えの夜(江戸時代)

と読み、次は

与楽の飯の後の話にあたるらしい

弧鷹の天

を読むつもりです。

7月15日に名古屋の女子大でトークショー、サイン会をされるとのこと!

今から楽しみです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こどもの日

長らく、本当に長らく、三年ほど更新できていなかったブログを書いています。

ワードプレスに変えて以来、

わからないことに出会うたびへこたれ、ついにはツイッターとフェイスブックのみの更新になっていたので、ブログだけ見てくれている遠方の友達からは、

「生きているのか?」

という質問が来たりして、

ずいぶんご心配をおかけしました。

今は、講演と執筆の仕事と、

小5になった息子の野球の練習着を洗いながら、日々過ごしています。

ホームページを新しくすると思ってそれももう三年ほど。

リニューアルしたらブログ再開!と思って今までズルズルしてきましたが、今年中にはなんとか新しくしようという感じなので、それを待つとまたいつになるかわからず、とりあえずブログ投稿は再開しようと思っています。

このゴールデンウィーク、

後半は実家で過ごしました。

こどもの日は立夏とも重なり、

五月晴れの空。

うちのこどもは、転校前のお友達とクレヨンしんちゃんの映画を観たあと、二人で肉球がなんとかと言って笑い転げていました。

粽と柏餅を食べて、柱に10歳の身長を記して、昔から何度も繰り返されてきた普通のこどもの日を過ごせて、幸せな日でした。

 

メトロポリターナ 表参道からクリスマスプレゼントを

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12月のメトロポリターナは、

表参道のクリスマスプレゼント特集でした。

 

私のおすすめは・・・

 

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金箔と、切子のおちょこ

 

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贈りものの心得

というテーマでコラムも書かせていただいています。

それから、毎月の連載

「お多福美人講座」も。

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アップにしたら、読めるといいのですが・・・

 

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明後日は、クリスマスイブ。

大掃除や、今年中にやってしまいたいことなど、

慌ただしいですが、

ひとつずつ楽しんでできるといいなぁと思っています。

 

 

 

 

 

 

コメントをくださった方がおられたら

こんばんわ。

今日もお多福美人講座をお読みくださいましてありがとうございます。

実は先月の末より、スパムコメントが上手く排除できず

コメントの確認ができていません。

 

もし、コメントをくださったにもかかわらず

承認がないようでしたら、確認ができておりません。

 

せっかくコメントをいただきながら、本当に申し訳ないです。

また、対策していきますので

しばらくお待ちいただけますでしょうか。

 

申し訳ありませんでした。

備中高梁

長らくお多福美人講座をお休みして、

ご心配をおかけしました。

なんども見てくださった方々に、お礼とお詫びを申し上げます。

 

年末は、時々お休みすることがあるかもしれませんが、

また更新していきますので、

これからもよろしくお願いいたします。

 

今日は、岡山県備中高梁での、

高梁市商工会議所女性会にお招きいただいて、講演させていただきました。

 

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せっかくお花を飾ってくださったのですが、

写真を撮ったのが終わってお花を一部持ち帰り用にしてくださってからで、

半分しか残っていなくて申し訳ないです。

とても綺麗なお花をご用意くださいました。

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お花だけでなく、様々にお心遣いいただき、

講演終了後、三代天空の城のひとつ、

備中松山城を見られる絶景スポットにも、連れていっていただきました。

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歴史と文化の街であると実感。

また、女性がおしゃれでキラキラされていて、皆さん街に誇りを持っておられて、とても素敵でした。

 

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地元で作られている高梁紅茶は、

懐かしい優しい味わいでした。

 

ちなみに・・・

 

高梁

 

なんと読むかご存知ですか?

恥ずかしながら、私は今回ご縁をいただいてから、

たかはし

と読むと知りました。

最初は

たかはり

と読んでおりました。

 

講演に行って、そこでお目にかかる方々に、いつも本当にたくさんのことを教えていただきます。

 

今回、師走でお忙しいなか、申し訳ないほど心のこもったおもてなしをしていただきました。

家を守り、家族を支え、お商売をして、会の役員をして、本当にたくさんのお役目がありながら、

人の為に時間をとることが、

果たして私に出来るかと言えば・・・

少しずつでもそんな女性になりたいと思う一日でした。

 

高梁の皆さま、本当にありがとうございました。

 

 

信じる力で、どこまでも魅力的になる

アジアの俳優さんの写真を見ると

「まさか二枚目俳優ではないはず」

と思うような方を結構見かけます。

そしてその方達が、紛れもなく二枚目俳優だったりしてびっくりするのですが

そういう俳優は、動き出すと俄然かっこよくなるのです。

 

日本ではもうお目にかかれないほどのキメ台詞とキメ顏をする時、

自分の顔の造作が、最大限かっこよくなる不思議なパワーを発揮します。

 

それはどこから来るのかというと、

「自分を信じる力」

だと思うのです。

 

アジアの俳優さんは、自分が一見二枚目に見えないとしても

眼差し、表情、姿勢、声、あらゆるものを使って

自分と周りに暗示をかけます。

 

それを見るたび、

「この人の写真だけ見ていたら

”キモい顔”が売りのお笑い芸人の◯◯さんと間違えた人なのに、

不思議〜」

と思うのですが、実際、自分を信じている人にはかっこいいオーラが自然に出るし、

顔の作りがいいのに

オドオドしていたり、卑屈な表情をしたり、ひがんだり、自信のない態度を取り続けて、まったく「かっこいい枠」には入れない人もたくさんいます。

 

 

顔はあんまり関係なくて、自信満々に楽しいことをしている方が

魅力的に映るしモテる理由でもあるのだと思います。。

 

自分をどれだけ

「かっこいい」

「素敵」

と思っているかで、最初は表に出なくても

徐々に、本当に素敵な人になっていきます。

 

もし、自分が俳優、女優なら、どんな表情でものを見るか

自分の中に眠る、自分史上で最高に素敵な私を表そう・・・

 

そんな気持ちで、自分を信じてみると、いつも見ている世界と違う世界が現れます。

「私は魅力的」

そう信じて毎日過ごしたいですね。

 

 

人を呪わば穴二つと引き寄せの法則

「人を呪わば穴二つ」

この言葉は、日本だけでなく世界中に似たような言い回しのあることわざです。

人を呪うと、自分にもそれが跳ね返ってくるという意味で、

だから人を呪ったり恨んだり、陥れようとしてはいけませんよという戒めです。

 

 

この事は、潜在意識の観点からも正しいと言われていて、

潜在意識は主語を識別できないから、

人を呪っているつもりが、

自分に「悪いことが起きろ」と願っていると勘違いしてしまう・・・

と言われています。

 

この言葉の日本での起源は、陰陽師が呪いをかける時、その呪い返しにあった時の事を考えて、墓穴を二つ用意させたからだという説がありますが、

近代でも、風水を重視する香港で

ライバル企業に良くない流れを送り込もうと、建築の際に鋭い角をそのライバル企業に向けた企業が、裁判で訴えられました。

訴える前に対策として、大砲のようなものを取り付け

その悪い気を打ち返したそうで、それはそのまま

自分のした仕打ちが返ってきたわけで、全くこの言葉の通りになっています。

 

普通に考えても、人を呪うとよくない事はわかりますが、

潜在意識からみてもよくないと言われている上に、

更にもう一つ、そうしないほうがいい理由があります。

 

それは、

「宇宙からのエネルギーが自分のところで遮断されて入ってこなくなる」

という理由。

人に対して嫌な感情を抱いている時というのは、

気分が晴れているわけがなく、世界を美しいと感じられるわけもなく、

その人の事を考えている瞬間は感謝の気持ちも感じられないし、

周りにある恵みを味わったり、美しいものを愛でる気持ちにもなりません。

つまり、いい気分でいられなくなるわけです。

当たり前のことですが、人を妬んだり、恨んだり、不満に思っている時には、

いい気分の時と違う感情が心を占拠します。

それが、姿勢や、仕草や、瞳に入る光の多さや、優しさや嬉しさを感じる感度まで変えてしまうのです。

そんな時には、いい流れが受け取れないのです。

いい気分の時は、宇宙の元である愛や豊かさと繋がれるものが

人に嫌な感情を抱くせいで自分に入ってこなくなってしまうのは本当にもったいない。

誰かに仕返ししてやろうと思って画策している間は、自分にもまた

いい事が起こるのを止めて、悪い流れに乗るように仕向けているようなものです。

 

人は人の中で生きる動物ですから、

誰かの言葉や仕打ちにひどく傷ついたり、腹が立ったり、悲しくなったりするものですが、

それを引きずると、損をするのは自分。

一度嫌な想いをしたのに、ますます自分に嫌な想いをさせてはかわいそう。

 

ここは思い切り損得感情を発揮して、

「あんな人、恨むだけもったいない。私の人生に入れてあげない」

くらいに思っておくのがいいと思うのです。

 

そして、少し心が軽くなったら

「起こる出来事は自分の内面を映しているというけれど・・・

さて、どんな事に気づくべきかな」

と、考えて、自分の中にある

「気づくべきこと。直したほうがいい心、行為」

を見つめるきっかけにできれば最高です。

 

自分のところにその出来事がやってきたのはやっぱり、自分の中の何かに引き寄せる要素があったはず。

 

人に大事にされないなと感じたら、

自分で自分を、周りを、

ちゃんと大事にしているか振り返ってみたり、

人から認められないと思う時には、人をきちんと認めているか、

してもらったことに感謝できているか、

自分のしたことを認めているか、省みて見る機会です。

 

感情は、理性ではなかなか制御できないこともありますが、

私は嫌な気分になった時、今日書いたようなことを思い出して、

できるところから少しづつ、自分のためにいい気分を取り戻すようにしています。

 

 

 

 

 

 

 

「私は綺麗」の効能

毎日「私って綺麗」

と思いながら生きている女性は、どれくらいいるのでしょうか。

 

 

日々の暮らしに追われると

”綺麗とかなんとか”

はどうでもよくなり

それよりは、

”いかに目の前のことをこなすか”

ということばかりに意識が向きがちです。

 

そんな風に毎日を過ごして、ある日ふと鏡を見た時の情けなさといったら・・・

 

私も、人前に出る仕事が続くと、

そこでは

「綺麗でいたい」

と思うので、仕草や表情も

「綺麗」

に向かいますが

普段そんなことを考えていない時は、心も体もダラーっとだらけて

楽な方へと向かいます。

 

そんな時は

「私は綺麗」

と思い込んで行動するのが一番。

 

本当に綺麗かどうかはともかく

「私は綺麗」

と思うと、まず背筋がすっと伸びます。

 

ものを扱うのが丁寧になり、

何かを見る眼差しが優しくなります。

 

食べる時にも、ただかき込めばいいと言うのではなく

味わって、きれいにいただくことができます。

 

髪をとくとき、

お化粧をするとき、

体を洗うとき、

服を着るとき、

「和は綺麗」

と思いながらすれば、やっぱり本当に綺麗な姿になるのです。

 

「私は綺麗」と思っている時には

だらしないことも品のないこともできなくなります。

 

姿勢や仕草や瞳の動かし方が自然と美しくなり、ゆったりと前向きに物事に取り組めます。

 

そもそも、美しい姿勢や仕草や、目の前のものを慈しんで見る行為は、宇宙からのエネルギーをたくさん受け取れるようになっているので、

起こる出来事も、どんどん素晴らしくなっていきます。

 

そんないいことだらけの

「私は綺麗」

の暗示ですが、

体が疲れている時には効果がありません。

 

綺麗でいるには体力がいります。

美しい姿勢や仕草をするのに、筋肉も体力も必須。

心が元気でいるためには、睡眠や休息や運動も大切。

 

だから、どんなに頑張っても

「私は綺麗」

と思えない時、そう振舞えない時は、

ちょっとゆっくりしてみることにしています。

 

もしかしたら、

「私は綺麗なんてこと、今まで一度も自分で思ったことがないわ」

という方もいらっしゃるかもしれません。

 

もしそんな方がいらしたら、今までの分までうんと綺麗と思ってください。

 

「綺麗と思うから綺麗になっていく」

ふとこのことを思い出したら

どんなに期間が空いていても、いつも思えなくても構いません。

その時から、その時だけでも

「私は綺麗」

と言ってみてください^^

 

 

 

 

拡げるより仕舞うこと

「この人、仕事ができるなぁ」

とか、

「心配りが細やかだなぁ」

と思う人は、

たいてい片付けが上手です。

 

私はどちらかというと拡げるの専門。

 

仕事も出会いも、興味を持ったものも

「これ」

と思うと、どーっと突っ込んでいって

ちらけっぱなしというのが本来の性格です。

 

 

大人になるにつれて、それでは支障をきたすことがでてきて

「キチンと始末」

を心がけてはいるものの

もともと性格の性格は雑で大雑把なのでなかなか大変です。

 

 

この夏、ニューヨークに住んでいる友人が帰国した際に遊びに来てくれた時に

「もともとキチンとした人」

というのはこういう行動をするのかぁ!

と感激したことがありました。

 

夕ごはんを作る時

「何か手伝おうか」

と言ってくれたので、

料理の途中で出たボールなどの洗い物を頼んだのですが

彼女が自然と手を伸ばしたのは

食器カゴに置いてある洗った食器の始末。

 

私なら、ダーっと洗い始めてから

「あ、洗いカゴいっぱい!」

と気づいてまごつくところを

彼女は仕事の段取りを一瞬で組んで

先を見通して

そのために一番先にすべきことへ

何も考えなくても手が伸びたのです。

 

先へ先へ急ぐよりもまず片付ける。

 

彼女の行動から、

自分に足りないことを教わった気がしました。

 

世界中旅行へ行く彼女はいつも身軽で

必要最小限のものだけを

きれいにカバンに入れています。

 

我が家に来てくれた時も、小さなリュックひとつでした。

 

旅好きの他の友達も

いつも荷物が少なくて

彼女に食器洗いを頼んだ時は

(いつも人に頼まずに、自分で洗わんかい!)

洗った食器をカゴにきれいに並べていたことを思い出しました。

 

 

着物や服をコーディネイトするときは、

出す時はちっとも面倒でないし、しんどくもありません。

 

ところが、いざ仕舞うとなった時の面倒なこと。

 

 

拡げることより、仕舞うことの方が労力が必要だからこそ、

仕舞うことを大切にすると

毎日がリズムよく整います。

 

苦手なことだけど、仕舞う仕舞う

と、舞うように軽やかにするよう心がけています。