信じる力で、どこまでも魅力的になる

アジアの俳優さんの写真を見ると

「まさか二枚目俳優ではないはず」

と思うような方を結構見かけます。

そしてその方達が、紛れもなく二枚目俳優だったりしてびっくりするのですが

そういう俳優は、動き出すと俄然かっこよくなるのです。

 

日本ではもうお目にかかれないほどのキメ台詞とキメ顏をする時、

自分の顔の造作が、最大限かっこよくなる不思議なパワーを発揮します。

 

それはどこから来るのかというと、

「自分を信じる力」

だと思うのです。

 

アジアの俳優さんは、自分が一見二枚目に見えないとしても

眼差し、表情、姿勢、声、あらゆるものを使って

自分と周りに暗示をかけます。

 

それを見るたび、

「この人の写真だけ見ていたら

”キモい顔”が売りのお笑い芸人の◯◯さんと間違えた人なのに、

不思議〜」

と思うのですが、実際、自分を信じている人にはかっこいいオーラが自然に出るし、

顔の作りがいいのに

オドオドしていたり、卑屈な表情をしたり、ひがんだり、自信のない態度を取り続けて、まったく「かっこいい枠」には入れない人もたくさんいます。

 

 

顔はあんまり関係なくて、自信満々に楽しいことをしている方が

魅力的に映るしモテる理由でもあるのだと思います。。

 

自分をどれだけ

「かっこいい」

「素敵」

と思っているかで、最初は表に出なくても

徐々に、本当に素敵な人になっていきます。

 

もし、自分が俳優、女優なら、どんな表情でものを見るか

自分の中に眠る、自分史上で最高に素敵な私を表そう・・・

 

そんな気持ちで、自分を信じてみると、いつも見ている世界と違う世界が現れます。

「私は魅力的」

そう信じて毎日過ごしたいですね。

 

 

人を呪わば穴二つと引き寄せの法則

「人を呪わば穴二つ」

この言葉は、日本だけでなく世界中に似たような言い回しのあることわざです。

人を呪うと、自分にもそれが跳ね返ってくるという意味で、

だから人を呪ったり恨んだり、陥れようとしてはいけませんよという戒めです。

 

 

この事は、潜在意識の観点からも正しいと言われていて、

潜在意識は主語を識別できないから、

人を呪っているつもりが、

自分に「悪いことが起きろ」と願っていると勘違いしてしまう・・・

と言われています。

 

この言葉の日本での起源は、陰陽師が呪いをかける時、その呪い返しにあった時の事を考えて、墓穴を二つ用意させたからだという説がありますが、

近代でも、風水を重視する香港で

ライバル企業に良くない流れを送り込もうと、建築の際に鋭い角をそのライバル企業に向けた企業が、裁判で訴えられました。

訴える前に対策として、大砲のようなものを取り付け

その悪い気を打ち返したそうで、それはそのまま

自分のした仕打ちが返ってきたわけで、全くこの言葉の通りになっています。

 

普通に考えても、人を呪うとよくない事はわかりますが、

潜在意識からみてもよくないと言われている上に、

更にもう一つ、そうしないほうがいい理由があります。

 

それは、

「宇宙からのエネルギーが自分のところで遮断されて入ってこなくなる」

という理由。

人に対して嫌な感情を抱いている時というのは、

気分が晴れているわけがなく、世界を美しいと感じられるわけもなく、

その人の事を考えている瞬間は感謝の気持ちも感じられないし、

周りにある恵みを味わったり、美しいものを愛でる気持ちにもなりません。

つまり、いい気分でいられなくなるわけです。

当たり前のことですが、人を妬んだり、恨んだり、不満に思っている時には、

いい気分の時と違う感情が心を占拠します。

それが、姿勢や、仕草や、瞳に入る光の多さや、優しさや嬉しさを感じる感度まで変えてしまうのです。

そんな時には、いい流れが受け取れないのです。

いい気分の時は、宇宙の元である愛や豊かさと繋がれるものが

人に嫌な感情を抱くせいで自分に入ってこなくなってしまうのは本当にもったいない。

誰かに仕返ししてやろうと思って画策している間は、自分にもまた

いい事が起こるのを止めて、悪い流れに乗るように仕向けているようなものです。

 

人は人の中で生きる動物ですから、

誰かの言葉や仕打ちにひどく傷ついたり、腹が立ったり、悲しくなったりするものですが、

それを引きずると、損をするのは自分。

一度嫌な想いをしたのに、ますます自分に嫌な想いをさせてはかわいそう。

 

ここは思い切り損得感情を発揮して、

「あんな人、恨むだけもったいない。私の人生に入れてあげない」

くらいに思っておくのがいいと思うのです。

 

そして、少し心が軽くなったら

「起こる出来事は自分の内面を映しているというけれど・・・

さて、どんな事に気づくべきかな」

と、考えて、自分の中にある

「気づくべきこと。直したほうがいい心、行為」

を見つめるきっかけにできれば最高です。

 

自分のところにその出来事がやってきたのはやっぱり、自分の中の何かに引き寄せる要素があったはず。

 

人に大事にされないなと感じたら、

自分で自分を、周りを、

ちゃんと大事にしているか振り返ってみたり、

人から認められないと思う時には、人をきちんと認めているか、

してもらったことに感謝できているか、

自分のしたことを認めているか、省みて見る機会です。

 

感情は、理性ではなかなか制御できないこともありますが、

私は嫌な気分になった時、今日書いたようなことを思い出して、

できるところから少しづつ、自分のためにいい気分を取り戻すようにしています。

 

 

 

 

 

 

 

「私は綺麗」の効能

毎日「私って綺麗」

と思いながら生きている女性は、どれくらいいるのでしょうか。

 

 

日々の暮らしに追われると

”綺麗とかなんとか”

はどうでもよくなり

それよりは、

”いかに目の前のことをこなすか”

ということばかりに意識が向きがちです。

 

そんな風に毎日を過ごして、ある日ふと鏡を見た時の情けなさといったら・・・

 

私も、人前に出る仕事が続くと、

そこでは

「綺麗でいたい」

と思うので、仕草や表情も

「綺麗」

に向かいますが

普段そんなことを考えていない時は、心も体もダラーっとだらけて

楽な方へと向かいます。

 

そんな時は

「私は綺麗」

と思い込んで行動するのが一番。

 

本当に綺麗かどうかはともかく

「私は綺麗」

と思うと、まず背筋がすっと伸びます。

 

ものを扱うのが丁寧になり、

何かを見る眼差しが優しくなります。

 

食べる時にも、ただかき込めばいいと言うのではなく

味わって、きれいにいただくことができます。

 

髪をとくとき、

お化粧をするとき、

体を洗うとき、

服を着るとき、

「和は綺麗」

と思いながらすれば、やっぱり本当に綺麗な姿になるのです。

 

「私は綺麗」と思っている時には

だらしないことも品のないこともできなくなります。

 

姿勢や仕草や瞳の動かし方が自然と美しくなり、ゆったりと前向きに物事に取り組めます。

 

そもそも、美しい姿勢や仕草や、目の前のものを慈しんで見る行為は、宇宙からのエネルギーをたくさん受け取れるようになっているので、

起こる出来事も、どんどん素晴らしくなっていきます。

 

そんないいことだらけの

「私は綺麗」

の暗示ですが、

体が疲れている時には効果がありません。

 

綺麗でいるには体力がいります。

美しい姿勢や仕草をするのに、筋肉も体力も必須。

心が元気でいるためには、睡眠や休息や運動も大切。

 

だから、どんなに頑張っても

「私は綺麗」

と思えない時、そう振舞えない時は、

ちょっとゆっくりしてみることにしています。

 

もしかしたら、

「私は綺麗なんてこと、今まで一度も自分で思ったことがないわ」

という方もいらっしゃるかもしれません。

 

もしそんな方がいらしたら、今までの分までうんと綺麗と思ってください。

 

「綺麗と思うから綺麗になっていく」

ふとこのことを思い出したら

どんなに期間が空いていても、いつも思えなくても構いません。

その時から、その時だけでも

「私は綺麗」

と言ってみてください^^

 

 

 

 

拡げるより仕舞うこと

「この人、仕事ができるなぁ」

とか、

「心配りが細やかだなぁ」

と思う人は、

たいてい片付けが上手です。

 

私はどちらかというと拡げるの専門。

 

仕事も出会いも、興味を持ったものも

「これ」

と思うと、どーっと突っ込んでいって

ちらけっぱなしというのが本来の性格です。

 

 

大人になるにつれて、それでは支障をきたすことがでてきて

「キチンと始末」

を心がけてはいるものの

もともと性格の性格は雑で大雑把なのでなかなか大変です。

 

 

この夏、ニューヨークに住んでいる友人が帰国した際に遊びに来てくれた時に

「もともとキチンとした人」

というのはこういう行動をするのかぁ!

と感激したことがありました。

 

夕ごはんを作る時

「何か手伝おうか」

と言ってくれたので、

料理の途中で出たボールなどの洗い物を頼んだのですが

彼女が自然と手を伸ばしたのは

食器カゴに置いてある洗った食器の始末。

 

私なら、ダーっと洗い始めてから

「あ、洗いカゴいっぱい!」

と気づいてまごつくところを

彼女は仕事の段取りを一瞬で組んで

先を見通して

そのために一番先にすべきことへ

何も考えなくても手が伸びたのです。

 

先へ先へ急ぐよりもまず片付ける。

 

彼女の行動から、

自分に足りないことを教わった気がしました。

 

世界中旅行へ行く彼女はいつも身軽で

必要最小限のものだけを

きれいにカバンに入れています。

 

我が家に来てくれた時も、小さなリュックひとつでした。

 

旅好きの他の友達も

いつも荷物が少なくて

彼女に食器洗いを頼んだ時は

(いつも人に頼まずに、自分で洗わんかい!)

洗った食器をカゴにきれいに並べていたことを思い出しました。

 

 

着物や服をコーディネイトするときは、

出す時はちっとも面倒でないし、しんどくもありません。

 

ところが、いざ仕舞うとなった時の面倒なこと。

 

 

拡げることより、仕舞うことの方が労力が必要だからこそ、

仕舞うことを大切にすると

毎日がリズムよく整います。

 

苦手なことだけど、仕舞う仕舞う

と、舞うように軽やかにするよう心がけています。

 

 

 

 

「いいこと探しなんて全然できない」という気分の時は

「いい気分でいれば、次もまたいい気分になることがやってくる。

 

それを続けるうちに、想いもよらない素敵なことが起こり始める」

 

頭ではわかっていたり、

自分の経験としても

それを体感したことがあったりして

 

「自分の身の回りのいいことを探すのはとても大切!」

と思っているのに

どうしてもそんな気分になれないようなことが起こって

それまで少しづつ積み上げてきた

「なんとなくいい感じの毎日」

が、ガラガラと崩れさるような感覚になる時もあると思います。

 

波があるのが人間で

その揺らぎの中で少しづつ変化していくものだから

そんな気持ちになることを責めないことが何より大切。

 

「まぁ、そんな気分になることもあるよね」

と、自分だけは自分の味方でいることはとても大事だと思います。

 

いいこと探しができなかったり

身の回りの恵みを感じられない時は

無理に

「いいところを探さないと・・・」

と焦るより

掃除がオススメです。

 

 

その時、感謝、感謝・・・・

何て思わなくても大丈夫。

 

鬱陶しい気持ちが晴れなくても、

「まぁ、そのうちこの気分も変わる時が来るわ」

と思うのが、一番感情の中に葛藤がないのではないかと思います。

 

感情の中に、無理した感じや不快な感じが混ざらないのはとても大事で

「完全な善人」

なんていないのだから

自分の感情の中で一番無理なく掴める感情の中で

一番苦しくないものをえらんで、

無理していいことを考えるように持っていかなくてもいいのです。

 

掃除をすると

淀んでいたものが流れる感じがしたり

ものを整えることで気持ちが整っていくのが気持ち良かったりして、

ひどかった気分も少しづつ上向きになっていきます。

 

掃除もする気がない時は

わかりやすいゴミを捨てること。

 

 

「間違いなくごみ」

「もういらないもの」

 

を捨てていくことで

心が軽くなっていきます。

 

「もう嫌だ!何もかも」

 

と感じている時には、

何かものを30個捨てましょう。

 

いらない紙類

何かに使うかもと取っておいた箱

開封してずいぶん経つ化粧品…

 

 

30個捨てた時には、

ずいぶん気持ちが変わって

また

いいこと探しができるようになっています。

 

「好きな事を仕事にする」の「好き」をもっと詳しく

好きなことを仕事にしているのに、なかなか思うように行かなかったり、好きなことが好きでなくなったりすることがあります。

 

「自分の好きなこと」の大きな枠の中で、

どんな事にドキドキするのか、

何をしている時ワクワクするのか、

のめり込むのはどんな時か、

夢中になるのはどの部分か、

ということを見極めるという作業はとても大切です。

 

例えば、アロマが好きでアロマを仕事にしていたとします。

 

アロマの中で、

マッサージが好きなのか、

マッサージをしながらの接客が好きなのか、

アロマのブレンドが好きなのか、

アロマの効能について調べるのが好きなのか。

 

自分がどこにビンビン感じているのかで、

提供できるサービスの種類が変わってきます。

 

私のお友達のあるアロマテラピストの方は、

ブレンドがとにかく大好き。

アロマの香りに対しての愛情の深さは人並みならぬものがあって、

その組み合わせを考えるときのワクワクした感じ、

楽しそうな雰囲気、

オタクとも言える熱中ぶりを目の当たりにすると、

ブレンドはぜひこの人にお願いしたいと思わせるものがあります。

彼女は、アロマが大好きで、

アロマはマッサージとセットという固定観念があり、

アロマにはつきものなものだから、

しないといけないと思っていたそうです。

 

でも、なぜかそんなに夢中になれないなぁと言う気持ちがいつもあったようで、

 

アロマのマッサージの予約があると、消耗していたそうです。

その気持ちをしっかり見つめると、自分が本当に好きなのはアロマのブレンドだと言う事がはっきりわかって、

そこからマッサージをメニューから外して、

アロマを使った彼女だけの

「お客様とのカウンセリングを通したブレンド」

を中心に活動するようになったそうです。

 

今彼女はとても楽しそうで、

「大好きなアロマがやっぱり大好きだ」

というところに立ち戻っています。

 

 

自分の好きなことに正直になること、

そしてその中で

「自分が本当にワクワクすること、追い求めていきたい事は何なのか」

を細かく丁寧に見ていく事は、自分にとっても周りの人にとっても幸せにつながることです。

 

私事で恐縮ですが、

以前、私も自分のやりたいことがどういうことなのか考えあぐねた時期がありました。

 

不思議なありがたいご縁に導かれて、

執筆や講演の仕事をすることになりましたが、

自分が追いかけていきたい事は何なのか、

求められているのはどんなことなのか、

そのはざまでどこに向かっていいのか

わからない時期がありました。

 

講演の仕事も執筆の仕事も、大体自分が好きなやりたいことをやっているはずなのに、それでも何かしっくりこない感じがありました。

美しい女性に憧れて、自分もそんな風になりたいという気持ちを持ちながら花柳界に入り、

そこでいろんな女性から美しさの秘訣を学びながらも、

体を壊したことでそれまでの価値観を全て否定した時期があったというのも理由のひとつだと思います。

 

美しさよりも健康の方が大切なのに、

自分は経済至上主義の価値観で、

健康や自然をないがしろにして生きてきたのではないかと思ったのです。

 

周りの方が聞きたいと思ってくださる

世界のVIPから学んだ成功の秘訣や、

美しい女性に囲まれて暮らした中で知った美しさの秘訣について、

自分の中で全く価値を見出せなくなっていた時期がありました。

 

何を話したらいいのか、書いたらいいのか、求められている事と自分の発信したいことの間にズレがあるような気がしたのです。

 

特に、東日本大震災以降は、自分の中の価値観がずいぶんゆらいで、

お化粧をして着物を着て

口だけ動かす講演

指だけ動かす執筆

が仕事の自分を

いつも責めていて、

とても苦しく、思いつめた気持ちでいました。

 

そんな中で、少しずつ、自分がどんなことをしているとワクワクする楽しいのかを探っていくと、

昔の人が伝統の中に込めて

私たちに伝えてくれた宇宙の真理を探ること、

人のどんな言葉や仕草に美しさを感じるのか、ドキドキするのかを追求することに行き当たったのです。

 

 

自分の中で疑問に思うことやハッとすることがあって、

それを

「これってどうなのかなぁ」

と自分なりに調べて、結論を出す

検証する

その作業がとても楽しいのです。

 

それがわかってからは、

講演の仕事も、執筆の仕事も、

自分にとっては

「調べる」

「自分なりに結論を出す」

「実験する」

と言う作業があってこそ成り立つもの

それを、講演なり執筆なりで発信する。

その作業抜きに、周りのニーズに合わせようとして

話したり書いたりしてもしんどいだけで、

 

喜びは生まれないことが理解できるようになり、

 

仕事をする楽しみが深くなりました。

 

そしてそれ以降、

自分の望むような種類の仕事を

たくさんいただくようになりました。

 

自分がやりたいことをはっきりさせたおかげで、

私のする仕事を必要としてくださる方もまた、

私のことを見つけやすくなったのだと思います。

 

自分が好きなジャンルの仕事をしているのに、なぜかその仕事の中で喜びが感じられないときは、

自分がその好きなことの中で特にどんなことにワクワクするのかを深く深く見つめてみることで

突破口が得られると思っています。

 

 

料理をするというくくりの中でも、

レシピを作るのが好き

人に振る舞うのが好き

おいしいものを食べるのが好き

もくもくと料理を作るのが好き

と、好きの方向性は様々です。

 

好きな事をしているはずなのに、なぜかワクワクしないときは、

その中で特に好きなこと、

気持ちが高揚することを探して

とことんそこを深めて見ることが突破口になると思います。

 

 

 

 

 

時間はあっという間に過ぎていくから

一昨日は、

「綺麗でいながら家事も育児も完璧に」

と思わずに、

自分に優しく生きています!

ということを書かせていただいたのですが

そう思ったのは

芸者時代の体験や、

昔の女性の役割分担について知ったからだけでもなく、

もうひとつ、あるきっかけがありました。

 

 

私は、芸者時代にひどい蕁麻疹を発症して

発作が起こると息もできなくなる程だったのですが

そのほかにも毎日嘔吐をして

頭痛、めまい、不眠、婦人科系の不調と

体調不良のデパートのようでした。

 

 

それをなんとかしようと長期休業をして

スリランカのアーユルヴェーダの病院兼ホテルに3ヶ月ほど滞在したのです。

 

 

テレビはなし

食事は三食、患者の体調に合わせたものを

ナンバープレートの付いているテーブルで食べる。

お酒もタバコも禁止。

 食事を自分で作らなくていい状況で

荷物もほとんど無い

掃除は人がしてくれる

電話で誰かと話す事はほとんどなく

当時はネットもほとんど見ることがなく

(と言っていますが、実際はパソコンの使い方がわからず

メールを打つ時の

改行の仕方やスペースの開け方も知りませんでした)

お友達もそんなにいないので

夜誰かの部屋に行く事もなく

 

それなのに、一日はあっという間に過ぎたのです。

洗濯だけは自分でしていましたが、

芸者時代の一人暮らしから比べれば

 

活動量は10分の一ほどです。

 

それなのに、時間は瞬く間に過ぎました。

 

いつも

「ゆっくりご飯を食べたい」

と思っていたので、それを実行していたら

それだけでも結構な時間をとるのです。

自分で作っていないのにもかかわらず!!

 

普段なら、献立を考えるのも、買い物も、調理も、食べるのも、片付けも全部自分。

それが、

「食べること」

しかしなくても、味わって食べたらこんなに時間がかかるのかぁと

衝撃でした。

 

もともと欲張りな方で

いろんな料理を作りたい

いろんな食器が欲しい

それに合わせたお酒も・・・

 

と求めていくと、

食というひとつのくくりでも、

それだけでかなりの時間をそこに使う事になります。

 

無意識にやっているので、

ひとつひとつはそんなに時間がかかっていると自覚していませんでしたが、

食べることだけでも、あれほどの時間!

 

いつも時間が足りなくて当たり前でした。

 

食事にまつわること以外にも

着物や洋服の買い物

読書

友達付き合い

勉強・・・

と、したい事はいっぱい

 

そして心はいつも追い立てられているとしたら

 

「今は私はこれを大事にする」

 

ということを決めて

それ以外のことは、また縁がある時まで

ベストなタイミングまでは脇に置いておこうと思ったのです。

 

同時並行でぜんぶ出来て、

楽しめる人もいるけど、

私はそうではないみたい。

 

 

多すぎる「したいこと」

に押しつぶされるより

「今これを大切にしたい」

と思うことのために

心と時間と空間のスペースを広く開けて

それと向き合おうと思えたのは

あの、

「暇なはずなのに時間はどんどんすぎる」

という体験のおかげです。

 

丁寧に、味わって生きるとすれば、

私にはもっとゆとりが必要。

 

 

 

波を見る時間

夕日を見る時間

日記や手紙を書く時間

 

そんな何気無いことうするにも、

時間はけっこうかかる。

 

そして、そういう時間は無くしたくない。

 

だとしたら、何を削っていくか・・・

 

それを、芸者を辞めてから、少しずつ、

自分なりに決めて

暮らしを変えてきました。

 

具体的な事は、

部分部分にわけて、

また書いて行きたいと思います。

 

 

 

美しさと幸せの鍵は睡眠

イライラしている時

人生の穴に入り込んだような気持ちになる時

たくさん寝ると私は

生まれ変わったように穏やかで軽やかな気持ちになっています。

以前、睡眠不足の人が

1日1時間睡眠を増やせば

収入が600万増えた時より幸せになると読みました。

実際、寝ている時は本当に幸せ。

高校生の時

私は時々夕方の4時から次の朝まで寝続けるという楽しみの日を作っていました。

変な女子高生ですが

至福の時でした。

睡眠不足はデブの元ですし

美肌に睡眠も欠かせません。

何しろ睡眠は代謝をよくします。

美しくなろうと思ったら、

とにかくまず睡眠。

ひらめきを受け取るにも

潜在意識を受け取るにも

何をするにもまず睡眠!

そんなわけで、今日はそろそろ眠るとします。

みなさんおやすみなさいませ。

美しく生きるのに、一人で全部するのは大変と自覚する

SNSが発達してから

綺麗な人の暮らしを身近に知る機会が増えました。

美しい家に住み、

美容のための体操

食事

スキンケア

メイク

そしてファッション

家事、育児と

スーパーウーマン(古いですね)のように

なんでもしている女性を見ると

すごいなぁと思って

つい自分と比べてしまいますが

ある時から、

「私はそんなに色々出来ないな」

と思うようになりました。

もちろん、素敵な女性には憧れるし

そういう方を見かけるたびに

「いいなぁ。素敵だなぁ」

と心に焼き付けて、

近づきたいなと願うようにはしていますが、

自分を卑下したり

今すべき事を、焦りながらイライラしてするよりは

する事を減らして

楽しんでしたほうが

自分の人生に納得するし

満足もすると思ったのです。

一部のスーパーウーマン(また登場)を除けば

一人の人間が手に負える量はそんなに多くないのではないかと思うのです。

例えば、昔の芸者は自分で炊事、洗濯、掃除などはせず

その分芸事のお稽古や

自分を綺麗に保つための努力

季節ごとに仕立てる着物の事を考えたりしていました。

そのため、売れっ妓芸者の家には必ずお手伝いさんがいて

みんなの生活が滞りないよう気を配ってくれていたのです。

私たちの時代には

そんな優雅な芸者衆はあまりいませんでしたが

それでも置屋にはお手伝いさんがいました。

芸者は芸者の仕事をきちんとする。

お手伝いさんはお手伝いさんお仕事をきちんとする。

お互いがお互いの仕事をする事で

その世界が成り立っていました。

今の時代は、なんでも自分でするのが美しい、正しいという風潮で

私も例に漏れず

「芸者だからって家事もできないなんて

人として失格」

と思っていた節があり

「私は、家事もきちんとしながら芸者をするのよ」

と気負っていた事を思い出します。

ところが、かくいう私が

芸者の仕事を全うできていたかといえばいささか疑問で

どれもこれも中途半端でした。

しかも、洗濯に凝って二層式を買った時は

手が荒れてお酌の時にそれをご覧になったお客様に大層叱られましたっけ。

そんな頃

祇園町の人気芸妓さんと話していて

「へぇ、うち足袋なんていっぺんも洗ろたことあらしまへん」

と聞いて、

何もかも中途半端な自分が情けなくなったものでした。

今は料理をしない女性は非難されますが

昔、大店と呼ばれる立派な商家の奥様が

自分で炊事などをする事はあり得ないことと知った時にも

私の中の価値観が大きく変わりました。

偉そうぶらずに、雑務も自らやる奥様は

みんなに慕われて立派な人と思われていただろうと思っていたのです。

 

ところが実際は、

他人の領分にずかずか踏み込んで

その仕事に手出しするような人は

「分をわきまえない人身勝手な人」

だったというのです。

大きな行事の時に

献立を考えたり

席次を考えたりすることはあっても

買い出しや下ごしらえ、実際の調理などは

台所を取り仕切って働くものたちの仕事でした。

奥様は、全体がうまく機能しているか

働く人たちのことを考えるという大きな仕事があり、

それぞれが自分の仕事を全うしていたのです。

 

何がいいか悪いかは別にして

昔は大勢でやっていた事が

今は個人個人にのしかかっています。

昔の大女優には

料理を作る人

掃除洗濯をする人

針やあんまをする人

が個別にいて

そのほかに、人前に出る時は

メイクさんがいて

スタイリストがいて

自分のスケジュールを管理するマネージャーがいて

大きな方向性をいつも考えている事務所があって・・・

と、

沢山の人が時間と労力と知恵を出し合って

一人の人間を最高の状態に保っていましたが、

今は、一般に暮らす女性にも

同じような事が期待されながら、

そのための準備も後片付けも

すべて一人の人間がするというのが普通です。

 

もちろん、それだけの手を借りるには

費用も莫大にかかるわけで

それを稼ぐために、大勢の人間が

一人のスターを表に出して、

共同作業で稼いだお金を

携わるみんなで分配するというシステムなので

その一人にかかる

「違う意味での負担」は大変なもので

だからこそ、自殺や薬物中毒などの事件を起こす大物スターも沢山いたのだと思います。

それぞれの役割が決まっていた時代は

「私は◯◯の仕事」

と決めれば、そこを一意専心でやっていけばよかったものを

今は

「美しくて、家庭生活も充実していて、◯◯も一生懸命」

を求められる事が多くなりました。

昔も今も

「美しくある事が仕事」

という人の傍らには

使った後の筆や刷毛を洗い、

髪を結ってくれる人が存在しますが、

今は、どの仕事もある程度の美しさが求められ

その準備も後片付けも一人の人間がするわけです。

そして昔なら

「主婦だから」

「もう歳だから」

という言い訳が通用したのが

今は

「主婦でも、歳を重ねても、こんなに綺麗な人がいますよ」

と情報が追いかけてくる社会。

だからこそ、完璧を目指したら

苦しくなると思うのです。

仕事を持ちながら

掃除や洗濯もこなし

自分を美しく保つための努力もして

メイクやファッションの流行も程好く取り入れながら

美味しくて健康的なご飯を作って

さらに自分磨き・・・

と完璧にしようとすると、

一人の人間ができる量をはるかに超えています。

(スーパーウーマンならできるかもしれませんが・・・)

それに気づいて

「私にはそんなに沢山できないし

しようとすると

心に余裕がなくなるな」

「できるだけの事はやって

できない日があっても自分を責めずに

今という時代のこの暮らしをできるだけ楽しんで

綺麗に暮らす事を目指そう」

と思うようになりました。

「どうせできない」

と諦めるのではなくて

できなくても自分を責めない。

でも、時短家事について調べたり実践してみたり

持ち物を減らして

家事にかける時間や労力を集中させたりという努力はづづける。

「時間のない中でも、いつも綺麗でいたいなぁ」

という願いは心に持っておく。

そして、目の前にある事

今を楽しんで生きていきたいなと思っています。

もし、

「あれもこれもしないといけないのにできない」

と自分を責めておられる方がいらしたら

「歴史から見ても、できなくて当たり前。

今までよく頑張ってきました」

と自分を褒めて

肩の荷をおろしてくださいね。

 

芸者の支度は土台次第

今日もお多福美人講座をお読みくださいましてありがとうございます。

昨日の『聖なる予言』は、すでにお読みになっておられる方も多い人気の本で、もう一度読み直してみようかな、と言うメッセージを何人かの方からいただきました。

もう数冊、

「これは!」

というおすすめの本があるので、またおいおいご紹介したいと思います。

さて今日は、このところのお多福美人講座と趣向を変えて、

芸者時代のお話です。

新橋の芸者時代、白塗りをして日本髪を結い、着物を着るとき、

出来上がりがうまくいくかいかないかを決定するのは、土台でした。

白塗りのお化粧は、顔を洗った後、化粧水や乳液を使うと崩れるので、洗いっぱなしに鬢付け(びんつけ)油を塗ります。

他所土地(よそとち:自分が属する土地以外の花柳界をこう呼ぶ)のお姉さんと話していると、化粧水、使うよとおっしゃっていましたが、私の置屋では、使いませんでした。

鬢付け油というのは、かつらをなでつける時に使う油で、ろうのような見た目で、それよりはいくらか柔らかいものなのですが、それを少し手にとって、手のひらであっためてよーくのばします。

この時、ほんとうによーくのばすのが大事。

それからそれをおもむろに顔に貼り付け、顔の上でもよーくのばします。

首にも同じ事をします。

それさえムラなくキッッチリできていれば、あとは水溶きの白粉を刷毛でダーっと塗って(ペンキ塗りの要領です)、

板コンニャクほどの大きさのスポンジで叩き込みます。

鬢付け油がムラになっていると、顔に筋ができたりして悲惨な仕上がりですが、

油を綺麗にのばせていれば、それは美しい仕上がり(笑)

そこから、眉や目張り、口紅を挿していきます。

日本髪のかつらをかぶる時も、羽二重という下地がきちんとできていれば、

頭痛も起こさず、浮きもせず、綺麗で楽に居られるのですが、

羽二重を失敗すると、静脈を圧迫して、ひどい頭痛になります。

着物を着る時も同じで、一番下に着る肌襦袢が綺麗に合わせられていないと、

その上に着る長襦袢も着物もうまく着られません。

お座敷の支度をする時、土台作りが一番大事と、いつも思いながら鏡に向かっていました。

でも、これは何も芸者の支度に限った事ではありません。

もっと掘り下げて考えれば、

髪にツヤがなければ、どんな髪型も台無しですし

素敵に服を着こなすには、体つきが大切です。

普段のお化粧も、肌の状態が整ってこそ。

そう思うと、わずかに表に出て見える部分を美しくするには、

それを支える土台作りがとっても大切。

そんなわけで、

美しい肌のために、これからしっかりお化粧を落としてきます。