その人がしたことはその人が受け取る

順番を割り込んだりされると、 大したことではないけれど気分が悪いですよね。 「別に気にならないわ」 と言えればかっこいいのですが、私はけっこう腹が立ちます。 若い頃は(今も若いですが) 「どうしてくれよう〜!!」 とお腹のマグマがフツフツと沸いてきて、 心の中を火山流が荒れ狂い、ことあるごとに怒っていたような気がします。 そんな私ですが、ある考え方をするようになってから、 ちょっとした嫌なことを引きづらずに、心の状態を切り替えることができるようになりました。   その考えとは、 「その人がしたことはその人が受け取る」 というもの。   順番ぬかしをしたことは、その人の行為であって、 それはその人のしたこととして天に記録される。   そのことによる因果はその人が受け取るんだと思うと、 安心してその人のことを頭から離すことができるようになりました。 それまでの私は、自分と相手との間に何も介さず、 お互いの関係だけでものを見ていたのですが、 間に天を入れると、 自分が責任を持てるのは自分のすることだけで、 他人を自分が裁く必要はないのだと思えるようになったのです。   ズルいことをすれば、ズルいことをした人がその結果の出来事をいつか受け取る。   今ここでレジの順番が少し遅くなったとしても、 それでその人を自分が裁いたり嫌ったりする必要はない。 自分がすべきことは自分の機嫌を悪くしないで、いい気分を保つこと。   そして、そういう余裕を持つと、 「しんどいのかもしれない」 「気付かずやっているのかもしれない」 と思えるようになります。     そうすると、何がいいかって、自分の心の状態がいいのです。 自分も気付かずやっていることがあるかもしれない。 ここで腹を立てずにいることで、天への借りを一つ返したことになるかもしれない。 いくらでも考えようはあって、あのマグマはなんだったんだろうと思うことがあります。   私が小さい頃、祖母の世代の女性は、 「お互いさま」 という気持ちがいつもあったので、 「あの人があんなことをした」 といちいち目くじらを立てず、 自分も知らないうちにしているかもしれない。 人のふり見て我がふり直せ、と自らを省みていました。 私も自然にその境地になれればいいのですが、 まだ修行が足りなくて、すぐには「お互いさま」 と思えずにいます。   そんなわけで、自分のした行いは自分に返ってくるという考えを支持しているわけですが、 悪いことだけでなく、いいこともまた、自分に返ってきます。 手抜きも、努力も、みんな。 努力しても結果が出ないこともありますが、 努力している間についた人間的な深みや、その間の経験は、誰にも横取りできるものではないし、 必ずそのあと自分を助ける力になります。   いい加減にやればいい加減な結果(丁度良い加減でできればもちろん、丁度良い加減の結果) 丹精を込めれば丹精を込めた結果   人への思いも同じで、 人を馬鹿にすると、馬鹿にされた人が馬鹿になるのではなくて、馬鹿にしたほうが馬鹿になる   この人から何かを得ようと思って心を澄ますと、 澄んだ心にしか入ってこないものを受け取る。   悪口を言うこと、人を憎むこと、みんな自分に返ってくるのを知っていた昔の人は   「人を呪わば穴二つ」 ということわざを残しています。   一つは相手の分。 もう一つは自分の分の落とし穴。   人を呪うと、結局は自分にも忌まわしいことが降りかかりますよという戒めですね。   人を呪っても何もいいことはない。 どんな時も、笑う門には福来たる。   昔の人は、脳の仕組みや潜在意識の法則を本当によく理解していたんだなぁと思います。 脳も潜在意識も、主語を認識できないと言われていて、 誰かを馬鹿といえば、自分が馬鹿と言われたように捉えるし、 誰かを褒めれば、自分が褒められたように感じ捉える。   だからもし、一日中誰かの悪口を言っていたとしたら、 自分が一日中悪口を言われているような状態で過ごしているというわけです。   どんなものを生み出すか、外に現すか・・・   自分のところに返ってきた時に、にっこりできるようなものを生み出せたらいいなぁと思います。        

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