紹介される人

「この人なら、知り合いを紹介しても大丈夫」 とか、 「この人は紹介できないな」 ということを、人は無意識で判断しているところがあります。 「あの人ならぜひ紹介したい!」 と思う人の要素はいろいろありますが、 信頼できるというのが何より大事ですよね。 誰かを紹介した時に、その後の進展などを伝えてくださると、 信頼できるなぁと思うし、安心します。 (男女交際の紹介は除外です。進展状況を教えろなどとは申しません! 安心してくださいね〜) 芸者になってすぐ、お姉さんから 「本(もと)の方を忘れたらダメよ」 と教わりました。 例えば、 お姉さんがご贔屓のお客様の席に私を呼んでくださったとして、 その後、そのお客様が自分のことをご贔屓くださっても、 「紹介してくださったお姉さんをすっ飛ばしてはいけませんよ。 ご縁のもとになった方を、きちんと大切にするんですよ」 と折に触れ、教えてくださいました。 その時お礼を言うだけでなく その後も折に触れて、縁をつないでくださったことに 感謝を捧げるのは本当に大事。 誰かに 「紹介して」 という前に、自分が今まで紹介してもらったのにほったらかしの人がいたら、 まずは、紹介者に感謝を捧げたり その後の進展を伝えると、 いい縁や福が舞い込みます。 当たり前のこと、簡単なこと でもよく忘れてしまうこと。 改めて、心がけよう!と 今日素敵なお礼のメールをいただいて感じました。 「この人にはまたいろんな方を紹介したいなぁ〜」 そう思うのは、やっぱり感謝を届けられる人。 私もそうありたいものです。

山姥が美しい娘になるとき

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息子と昔話を見ていました。

ある村にたいそう美しい娘がいました。

その娘は

村の長者どんの跡取りに見初められ、

許婚になっておりました。

長者の息子は、

美男で、その美しい娘に優しく

娘をたいそう大切にしておりました。

娘は大変幸せでした。

ある時娘は、

村人達と山に分け入り

山仕事をしておりました。

気がつけば村人たちの姿はなく、

山の中で道に迷ってしまいました。

灯りのついた家を見つけて訪ねると

出てきたのは山姥。

クタクタに疲れていた娘は肚を決め、

「一晩だけ泊めてください。

そうすれば後は

煮るなり焼くなり

好きにしてください」

と、ヤマンバに一夜の宿を借りました。

「こんなに美しい娘は見たことがない。

食べるのはやめて、

娘に一生

死ぬほど辛い想いをさせてやろう」

山姥はそう言って、

娘に羽織を着せました。

・・・

山姥はもともと、

年老いて男性から相手にされなくなった女性

その寂しさや恨み、辛さを表したものと言われています。

山姥は、

歳を重ねた女性の

満たされないエネルギーを擬人化したものだと思います。

美しい若い娘に、

年老いた自分の苦しみを味わせてやりたいというのは、

悲しい女の発想ですが、

満たされない毎日だと、

こんな風に思ってしまう事も

他人事でなく理解できます。

女は

誰もが

山姥になる可能性を秘めているのでしょう

・・・

羽織を着せられた娘は、

みるみるうちに老婆に。

鏡を見せられた娘は、

この世の終りと泣き崩れます。

「許婚の、あの優しい長者どんの息子なら

きっと私の辛さをわかってくれるはず」

そう思って駆け出した元娘は、

そこに行くまでの間

出会う人、出会う人に辛い目に合わせられます。

やっと会えた長者どんの息子は、

こんな汚いババァは知らないと

元娘のことを嘲笑います。

信じていた男に裏切られた娘は

身を投げようと

小橋の上で川面を見つめておりました。

そこへ通りかかったのは

大きなまきの束を担いだ村一番の貧乏人。

老婆というだけでまた

ひどい仕打ちに

合うのではないかと怯えていた

老婆に、

その村の男は

「具合でも悪いのかい

よかったら家で休んで行かないか」

と優しい言葉をかけました。

老婆の姿になった娘は

その優しさに大泣きします。

男の家で温かい食事を食べさせてもらった元娘が

その優しさをしみじみ感じていると、

いくらがんばっても取れなかった羽織が取れて、

みるみるうちにまた元の美しい娘に戻りました。

そして、その娘は

「ずっとあなたのそばに置いてください」

と、その、村一番貧しい男と結婚しました。

その後力を合わせて一生懸命働いたおかげで、

2人は村一番の長者になりました。

女の子を産んだその娘は、

布団の上で赤子に語りかけます。

「あなたもこの羽織を着て旦那さんを探すといいわよ

とても素敵な人が見つかるわ」

・・・

美女と野獣の逆バージョンのようなこの話には、

様々な教訓が含まれています。

◯美しい女性は、それだけで

人からも世間からも大切にされる

と言う事

◯年老いて醜くなった女性に

世の中は冷たいと言う事

◯女性として扱われないのはもとより

人としての尊厳まで踏みにじられた女が

世の中をすねて山姥のようになったときに

それを元の美しい娘のような心に戻すのは

人の優しい心、思いやりだと言うこと。

女は、

「きれいだねぇ」

とか

「かわいいねー」

と言ってもらえれば、

その通り可愛く綺麗になりますが、

「なんだおばさん」

とか

「若い子のほうがいいよ」

なんて言う言葉を投げつけられたり、

そんな態度をとられるに従って

心の家の中にヤマンバが住み着きます。

娘を元の姿に戻してくれたような

優しい懐の深い男に出会えれば幸せですが、

そんな人に会えなくても

自分の心が山姥化、鬼婆化してきたら、

自分を労って、優しく優しく

大事にしてあげましょう。

そして、世の男性にお願い☆

どんなおばさんも、昔は

若い娘でありました。

おばさんに優しい男は、

娘さんにも持てるもの。

どうか、年齢を問わず

女性に優しくしてくださいな。

いつか始まる私の本当の人生を 今から始める

今日はスーパームーンの満月。 いかがお過ごしですか? 私は朝から体がだるくて、どうしたんだろうと思っていました。 今日は大きな大きな夕日。 そして月! こんな日には、体の中の潮も満ちて いつもと違って当たり前かなぁ・・・ と思ってひとり納得していました。 今日の日のことを、宇宙の声や星の気持ちがわかる方々が ブログなどで書いておられることを私なりに解釈すると・・・ ○今までの人生の中で、ずっと心に秘めている本当の望みに気づく時  やりたいことは飛び込んで、嫌なことはやめる ○人間関係の見直しの時  会いたい人、気になる人と連絡を取ったり会いに行ったりする。  今までご縁のあった人とも、新しい気持ちで向き合う。 こんなことを意識する時なのかなぁと思いながら自分の心を見つめています。 ”本当の望み”というのとは少し感じが違いますが、 思い返してみたら、今までの人生はずっと 「いつか私にも魔法のようなことが起こって 小さな頃から思い描いていたような綺麗な女の人になれるのじゃないか」と思っているような気がします。 今日もへの字に曲がった口で掃除機をかけている自分に気づき、 「違うの。いつか何かのきっかけがあったら私は生まれ変わって爽やかな笑顔で掃除機をかけているはずなの。 何かが起こったら変身して、いつもリラックスしていて、優雅に振る舞えるはずなの」 と、本気で思ったりしているのです。 お肌の曲がり角も、行き止まりも遠に過ぎてなお、 そんな夢想をしている恐ろしさよ。 いったいいつ、あなたの人生は始まるのですか? 思い返せば、家事をしている時によく困った顔、険しい顔をしています。 ゴミ出し、洗濯を干す時、焦ってお料理を作るとき。 「いいの、外に出た時はちゃんとできるから。」 なんて思っていても、筋肉は普段の表情を記憶するもの。 もう、魔法は自分でかけるしかないことを知って どんな時もとにかく険しい顔をせずに、 忙しい時ほど笑顔と深呼吸を忘れないようにしたいもの。 今日は、本当に自分が憧れる人になる一歩を踏み出す決意の日にします。 最近、写真をたくさん撮るようにしているのですが そのうちのほとんどは人様には見せられないようなもの。 でも、その写真を見ることで自分の表情の良くないところに気づいたり いい顔で取れた時には、ずっとこんな表情でいられたらいいなと思ったり 客観的に自分を見つめるのに、とても役立ちます。 このブログを読んでくださっている皆さまも ぜひたくさん写真を撮ってみてください^^ 自撮りも、友達同士も、恋人同士も。 どんな風でも楽しんで^^ image 私も決意の一枚。 これからは、掃除も洗濯も、これくらい表情に余裕が持てるように取り組みます。 それから・・・ 世間は福山ショックで、福山通運の株価も上昇しているとか。 素敵な人と家庭を築いていけるのは、本当に幸せなこと。 でも、どんなに素敵な人でも、自分と全く同じ習慣や考えの持ち主はいないもの。 一緒に暮らす中では、 「こんなはずじゃなかった」 事も出てきます。 そんな中で、どれだけ自分の気持ちを良い状態で保てるか 相手のいいところを見つけられるか は、自分の心次第。 自分の思うように物事が運ばない時、どう考えて行動するかは 自分で決められること。 嫌な気持ちをいつまでも持って、ジト〜っとすることもできるし その気持ちはその気持ちで無視せずに、でも 今目の前にある喜びを味わいに行くこともできるとしたら、 これからの人生では、楽しいことを選ぶ人生にしたいなぁと思っています。 月の光は女性ホルモンの分泌を促し、女性を美しくするそう。 さあ、今から少しお月様とお喋りしてきます^^

100メートルの壁を越えるには

今日は中秋の名月。 綺麗なお月様が出ていました。 満月は古来より、感謝を捧げる日。 以前は、成人の日も、七五三も15日でした。 旧暦で15日といえばほぼ満月。 満月には満ちるチカラ、引き寄せるチカラが強いことを 昔の人は知っていて、感謝を捧げる行事をこの日にして、 ありがたい気持ちを味わえることが 一層増えるようにとの思いを込めていたのだと思います。 今年、実際の満月は明日。 スーパームーンと呼ばれる月が見えるところがあるそうです。 感謝を捧げたり、身の回りの幸せを感じたり、 きょうと明日はそんな夜にできたらいいなあと思っています。 秋分の日にも書きましたが、 今まで自分がしてきたことの振り返りと 今年の残り、そして来年の過ごし方 次の春分までのおおまかなイメージもしてみようかなぁと思っています。 このブログを読んでくださっているあなたは、 この先、どんな半年を描いていらっしゃいますか^^ いろんな方の未来予想図を、ぜひ伺ってみたいです。 さて、今日はLOSAという自然派化粧品の会社のお話会で、 岐阜の瑞浪にお招きいただきました。 image 先日、クレンジングの記事でご紹介させていただいた会社です。 行楽シーズン、運動会シーズンでご多用の中 たくさんの方にお越しいただき、楽しく幸せな時間でした。 今日は車を運転して会場へ image 昨年もお招きいただいて、たくさんの素敵な女性との出会いがありました。 今日のテーマは 『100メートルの壁を越えるには』 ですが、 人類がはじめて10秒の壁を超えたのは、 1968年のメキシコオリンピック決勝 ジム・ハインズ選手で、9’95だったそうです。 そこから何と、1984年のカール・ルイスまでは10秒の壁を超える選手が出てこずに、 ハインズ選手は 「空気の薄い高地メキシコだからこその記録」 と言われていたそうです。 ところが、カール・ルイス選手が記録を破ってからは次々と他の選手も 10秒の壁を越えて行き、 現在は80名以上のランナーがその壁を越えているそうです。 このエピソードから 「人は、できるという先例を見せられると 今まで不可能と思っていたことを、次々と越えていく」 という教訓が導き出されるのですが、 これは、 「美しく歳を重ねる」 というジャンルでも、全く同じ法則が働いていると思います。 森光子さんや八千草薫さん、吉永小百合さんなど 美しい先例は他の女性にも大きく影響を与え、 こんなに綺麗に歳を重ねられるんだ!!と認識されてから 花の命の長さは大いに延びたのです。 ところが、それは芸能界という範囲でのこと。 「あの記録は、メキシコだからでたんだよね〜」 と同じ位置にある記録のように思えます。 だからこそ、日常の中で美しい先輩にお目にかかれる機会はとても貴重!!! 今日も、そんな再会がありました。 image 昨年のお話会にもお越しくださったこちらの女性は たたづまいも物腰も笑顔もとっても素敵で おしゃれで美しくて・・・ 「ああ、私もこんな風になりたいな」 と憧れていました。 自分の10年後、20年後、30年後・・・ それぞれの年代の素敵な女性との出会いがあり 「こんな風になることもできるんだ」 と知れることは、人生の得難い体験です。 実際に、美しく生きておられる方の存在を知ることで 自分もまた、そこに近づけるような気がするのです。 今日は他にも素敵な女性にたくさんお目にかかれて たくさんの未来のイメージができました。 何事にも、先達はあらまほしきものかな 兼好さまのおっしゃることは、なるほど本当です^^ 今日お越しくださった皆さま 本当にありがとうございました。

感謝とは味わうこと

image 今日は、家の近くで夕陽を見ました。 焦ったり、心に不満があるときは、 朝日も、夕日も、空も、花も、 少しも心に入ってこずに 自分の心の中の暗くてしんどいところをぐるぐるまわっていて、 この世にある素敵なもの、美しいものの恵みをちっとも受け取っていません。 そこにあるのに、それに気づかない。 気づいていても味わわない。 それじゃあ、何を手に入れても 誰と一緒にいても どこへ行っても 幸せになることができません。 感謝は大事だよ〜 ってよく言われることです。 本当にその通りだし、人生が素晴らしくなるのに 感謝の力は絶対不可欠。 私自身も、芸者になってお披露目後一年で お花代の売り上げが一番になった時には、 やっぱり感謝の習慣がありました。 そして、感謝をおこたるようになった頃 病気になりました。 感謝は大事。 でも、わかっていても出来なくなることがある・・・ 芸者時代の私の場合は、単に自分勝手でおごった心が原因でしたが 突然の不幸に見舞われたり、生きるのが大変な時には どうしたら感謝できるのか・・・ 私は日々の暮らしの中で、小さな不満がくすぶったり 焦ったりして感謝を忘れている時には 「感謝しよう」 と思わずに 「味わおう」 と思うことにしています。 布団の肌触り 花の色 美味しいお米 対象はなんだっていいんです。 今目の前にあるものが、 どうやってここに来たのか それはどんなふうに私を助けてくれているのか 喜ばせてくれているのか そんな風に いろんなことを味わっていると、 その嬉しい気持ちは感謝と同じものであるように感じるのです。 味わうことが、感謝にそのまま繋がっている つまり、感謝とは、味わうことなのではないかと考えています。 「あの人がこんな風にしてくれた。 嬉しいなぁ・・・」 「このお料理、手間がかかってる。美味しいなぁ」 そんな風に、自分の身に起こったことを 細かく感じることは、感謝することでもあります。 どれだけ味わっているかは、 自分の今現在の人生の幸せ度を大きく左右し また、その先の人生をも変えて行く。 もし、億万長者になって モナコの自家用クルーザーの上でシャンパンを傾けながら 美しい夕陽を眺めていても 心が、さっきあった嫌なことにとらわれて 夕陽の美しさに気づかなかったら、 億万長者も豪華な船も夕陽も意味のないこと。 幸せって、どれだけ持っているかじゃなく どれだけ感じられるか どれだけ味わえるか。 今日、車を運転しながら 「あれもしなきゃ、これもしなきゃ」 と焦っている時に飛び込んできた夕陽。 「この夕陽を意識から締め出してしまったら モナコの夕陽も楽しめない女になるわ〜」 と思って、夕陽の美しさを胸いっぱい吸い込みました。 どこにいても、美しい夕陽を味わって 幸せを感じることができるようでありたいなぁと思いながら。 今ここにあるもの、ここで味わえるものを とことん感じる。 たくさん幸せを感じて、今日も暖かい布団で眠らせてもらいましょう^^

裸足の王様 お座敷へ行く

IMG_0002 今日は男性に読んでいただきたいお話。 雑誌の取材などで 「お座敷でのマナーや、粋な振る舞いについて教えて下さい」 とよく言われます。 お座敷遊びというと、敷居が高いイメージがあるのかもしれませんが おもてなしをするのは人間。 そして日本人^^ 料亭は、日本の建物。 お出しするのも日本のお料理で 勿論お箸でお召し上がりいただきます。 特別なことは何もなくて、 何処かのお宅に行くときに心がけることと同じことで充分だと思うのです。 だからこそ、取材の時はいつも 「それより何より、もっと大切なことがあるんじゃないかな〜」 と思っていることについてお話しさせてもらいます。 お座敷に行ってみようと思われる方の中には そんな方はいらっしゃらないと思うのですが 芸者をやめて普段暮らしているなかで、 「ありゃりゃ〜」 とびっくりするのは、道で唾を吐く人の多い事!! 「お座敷以外の日常生活で、マナー違反をしないことの方が 1000倍大事!!!」 とそれを見るたび思います。 お座敷やお茶室など粋に振舞うよりも 道に唾を吐くのをやめることや ぶつかったらきちんと謝ることの方が大切だと思うのです。 レジや道やエレベーターで、人を待たせた時に 一言いえる紳士や 自分と意見の違う人の話をバカにしないで聴ける男性は、 どこに行ってもモテるしやっぱり素敵♡ ちょっと今日のテーマから脱線しますが 「自分と意見の違う人の話をバカにしないで聴ける」 とか、 「パートナーの話をジャッジしたりダメ出ししたりせずに聴ける」 男性は本当にモテます。 それからマメな男性! (実はこれに勝るモテる秘訣はないと思っています) 講演の時に 奥さんの話を真剣に聴いているのにも関わらず 「あなたはちっとも私の話を聴いていない」 とか 「あなたは誰の味方なの!!」 と怒られてしまう男性と、女性の心理についてよくお話しさせてもらうのですが 「聴く」 ということは本当に本当に大切。 奥さんの話をきちんと聴くことができたら 家庭のもめ事の8割は無くなると思います。 このお話は、とっても濃いのでまたの機会に・・・ さて、お座敷で心がけることは 日常の当たり前のことと同じことと申し上げましたが ちょいワルおやじを自覚する方には一つ ご注意いただきたいことが・・・ それは、素足に靴を履く 石田純一スタイルではお座敷に上がらないということ。 どうしても裸足で行きたい時には 靴下持参でお願いいたします。 芸者時代、あるIT企業の社長が素足でお座敷に上がろうとして その方を連れていらした方に こっぴどく怒られていたのが 今も忘れられません。 もちろん女性も、素足にサンダルでいらした場合には ストッキングがソックスのご用意を。 畳を脂で汚さないようにという心遣いから始まったことかもしれませんが 素足でお座敷はNG その他はリラックスして、 お料理や歌や踊りを楽しんでくださいね^^

お手本は未知やすえ

昨日の記事に、心のクレンジングのお話を書きました。 今日もそれに関係した事を書きたいと思います(*^^*) 人は誰でも、 優しい人間 穏やかな人間 でいたいと願っていると思います。 もちろん私もその一員。 ところが、生きている中では 自分の心をコントロールできないこともあり、 人前で、嫌な顔をしてしまったり、 荒々しい態度になってしまう事も・・・ そんな時、 「自分はなんて嫌な奴なんだろうと」 ひどく落ち込みます。 私の場合は、 昔は芸者として、 今は講演などでニコニコしている分 家族に般若のような顔をしている時は そのギャップが苦しくて。 だからいつも、 本当は 優しい顔をしていないといけない 悲しくても腹が立っても ニコニコしていないといけない と思っていました。 そして、そう出来ない自分はダメだ。 人間が出来てない、と自分を責めて そのストレスをまた家族にぶつけるという悪循環。 それでも必死に どんなときでもニコニコしていようと思うと、 その表情は 笑顔が寂しげだったり 引きつっていたり 笑いきれずに、非常に違和感のある 「作り笑いの出来損ない笑顔」に仕上がります。 嬉しい時も、悲しい時も、 辛い時も、苦しい時も、 「笑ってないといけない」と思うと、 その笑顔はまるで引っ張りすぎたゴムのよう。 縮むことが出来なくなって、 という事はのびることも出来なくなって、 ダランとのびきって役に立たなくなったゴム。 めいっぱい泣いたり、笑ったりするから 笑ったり、喜んだりする事ができるのに。 心を型にはめすぎると、 血流が悪くなって、弾まなくなり、 どんどん硬くなっていってしまう・・・ 人に 「なんて人」 と思われたくなくて、 嫌な事を嫌と言えずに 笑顔が固まって、 妙ちきりんな表情になっている私とは対照的に ワガママをいったり、 時には人目を気にせずムッとするあの子のほうが、 笑った時にずっといい顔をしてる! そんな発見以来、無理して笑うより、 一旦自分の感情を認めて、 後はさっさと片付けて それからまた、 楽しい事 嬉しい事を探して 笑顔になったらいいんだと思うようになりました。 のんべんだらりと、ずっと笑顔でいるんじゃなく、 悲しかったら悲しくなって、そしてまた笑顔になる。 そんな風にメリハリをつける方がいいなと思ったのです。 だいたい、ずっと笑顔でいられるほど 私、人間出来てない! でも、ちょっとずつでも 素敵な人になりたいと願ってる。 だからこそ、今のままのやり方では 素敵な人、素敵な笑顔にはならないな・・・ そんな気持ちでした。 台所を汚したくないからと、料理を作らないのでは 美味しい手料理が味わえません。 料理を作って汚したら、またすぐ片付ければいいだけのこと。 綺麗でいたいからお化粧をするし 綺麗でいたいからお化粧を落とす 心が健康でいたいから、 悲しかったら泣くし、楽しかったら笑う ずっと、誰からも いい人と思われるなんてありえない。 ひきつった笑顔でいる時に、 誰がその顔を見て 「この人いい人。優しそう」 なんて思うでしょうか。 そう思っているのは、 笑顔になっているつもりの自分だけだったのです。 そんな時、ふと浮かんできたのが 関西人ならお馴染みの 吉本新喜劇未知やすえさん。 ご存知でしょうか。 白く美しい肌と ポチャッとした容姿で、 マドンナ役をされることもあります。 普段は可愛く振舞っているのですが、 「白豚」 と言われると、人格が豹変。 「おいわれ〜〜 誰にもの言いさらしとんじゃ」 と、巻き舌でガラの悪いセリフのオンパレードが始まり 周りの人は震え上がると言う筋書きです。 ところが、その姿は清々しく気持ちいいくらい。 罪悪感や後ろめたさが一切ないからなのかもしれません。 ひとしきり本領を発揮した後、 ふと我に返って 「やだ〜♡こわかった」 のセリフでみんながコケる と言うお決まりなのですが、 こんな感じで生きられたら、 自分の中の辛気臭さがずいぶん減るだろうなと思いました。 自分を晒してしまったあと、 「どうしてあんなことをしてしまったんだろうモンモンモンモン・・・」 をやめて、 「あら。やだ〜、私ったら〜」 と、素早く感情を片付けて、また心を仕切り直す。 周りの人だって、 私のことを人格者と思っているわけじゃなし 気にしているのは自分だけ そう思うとずいぶん気が楽になりました。 もちろん、笑顔はとても大切! 長い間悲しい顔でいるよりは 笑ったほうが心が楽しくなりますし、 仏頂面や不満な顔 皮肉な顔よりは 笑顔のほうがずっといいと思います。 大事なのは、自分の心を押し隠さないこと。 「あの人って、○○な人よね」 を恐れて、 自分の感情をおいてけぼりにしないこと。 ひとつだけ気をつけたいのが、 人目を気にしないと言うのは、 人に失礼な態度をとることでも、 人を傷つけることでもなくて、 相手の気持ちや立場をおもんばかりつつ 自分の気持ちを伝えることができるのが、 大人の、成熟したやりとり。 心のクレンジング お手本は未知やすえさん。 久々に新喜劇みたいなぁ。

肌も心もクレンジング

今日は秋分の日。 今年も残すところ四分の一。 どんな風に一年を締めくくりたいか、思いをはせるのにぴったりですね。 私は、二度のクレンジングをして、軽く保湿をしてからこのブログを書いています。 私が真剣にクレンジングに取り組んだのは、 今から約3年前。 LOSAという自然派化粧品の会社の女性の肌があんまり美しくて (当時御年60歳)、 理由を尋ねたら1日3回クレンジングをしているとのこと。 肌の内側から発光しているのかと思うほどに ツヤ〜〜〜〜〜 ピカ〜〜〜〜〜 でした。 それを始める前は、35歳まで日焼け止めすら塗ったことがなかったそうで 小学校の先生だったその方は、シミそばかすが大変だったそう。 その悩みを相談した方が 「良質のクレンジングマッサージクリームで1日3度クレンジングをしなさい。 一度はメイクを落とすため、 二度目は落とし残しを取るため、 三度目はマッサージのために」 とおっしゃって、 その日以来、その方は1日も欠かさず1日三度のクレンジングをされているそう。 私はもともとズボラな方で、 手が濡れていてもお風呂場で落とせるような 楽なものがいいと思っていました。 また、肌の汚れをしっかり落とすということに あまり注意を払っていませんでした。 「まあ、勝手に適当に落ちてるでしょう、クレンジングをしていたら」 くらいに考えて、 とにかく子供と一緒に早くお風呂に入って、早く寝かせることが第一でした。 ところが、その頃から私のお肌も曲がり角にさしかかります。 こりゃなんとかせにゃ という気持ちはありました。 当時の私は、世の中に数多ある美容法のなかで、 「朝の洗顔は水だけで」 という方法を選んでいました。 勿論、深い考えがあってそうしている わけではなく ズボラな自分への言い訳に最適だったからこその選択でした。 この方法で、あるママ友はとても綺麗になったので 私がこれに向かなかったのかもしれませんが、 シミやシワ、くすみ、そばかすなどで 顔面のキャンバスはまるでプラネタリウム! 天の川やら ホクロ七星やら(小学校時代、実際にこう呼ばれていたことがあります) 大変賑やかでした。 頬のシミはひときわ目立ち始め、ザラザラしています。 そんな時に出会った発光肌美人の輝く肌を見て 私も1日3回クレンジングの道を歩むことに決めました。 ちょうどその頃、 また違うツヤ肌美人に 「美肌の秘訣は、肌の上に一切不要なものを残さないこと。 化粧品はもちろん、古い角質も!」 と教わりました。 彼女は40歳 ノーファンデで恐るべき美肌でした。 肌トラブルは肌の残留物をなくせばほとんど解決すると言っていました。 当時、洗顔フォームなど 泡のもので顔を一切洗わないポリシーの方々の話や そういった化粧品会社の記事も読んでいましたので (泡洗顔は必要なものまで落とすのでやめるべしというもの) 迷う気持ちはあったものの、無言の発光肌の説得力たるや甚大でした。 私の場合は、1日3回のクレンジングと、朝晩のしっかり洗顔をしてから 随分と肌が明るくきれいになり プラネタリウムも、真夜中の星空から 明け方の星空に変わってきました。 頬のシミは、片方は砕け散って何処かに行ってしまいました。 もう片方はただいまお引き取りいただこうと奮闘中です。 どんな汚れもその日のうちに、その時に 綺麗にしてしまえば大事にならずにすむのに いつまでも汚れを後生大事にしていると、 大掃除が大変になります。 反対に、普段からマメに手入れをしていれば 家の掃除も、肌も、きれいな状態を保てます。 ところが、小さな汚れでも、 毎日少しずつたまれば、ある日気づけば大ごとです。 なかなか消えない、場合によっては一生消えないものにだってなり得ます。 そしてこれは、心にも言えること。 小さな心の傷、シミなんかをそのまま放っておくと、 その傷やシミは、心に居座り いつも不満そうな顔になったり 困った顔になってしまいます。 私はこのことを 「不満筋」 と呼んでいます。 反対語は 「美人筋」 不満筋の発達している顔を 「どうせ顏」 「何よ顏」 と呼んだりもしています。 このお話はまたいづれかさせていただこうと思っています。 私も家族で言い争いをしたりすると、 その後しばらくは、人様に会えないほど醜い表情をしていて、 自分でほとほと情けなくなります。 その表情は、 つらい、悲しい、わかってほしい、腹が立つ、などなどの心の表れで、 その感情自体はちっとも悪くありません。 出てきた感情を責めたり、フタしたりせずに そうだったんだ、辛かったね、悲しかったねと 一度自分の感情をしっかり抱きしめてあげるのは とても大事なことだと思います。 そんな自分への行為があるだけでも、 その感情を手放すのが、随分楽にできるようになります。 肝心なのはその後。 いかにその感情をクリーニングして、 いい顔になるような感情を新たにいだけるか。 肌のクレンジングや毎日の掃除をする中で 用事の済んだものを後生大事にするよりは、 いらないものはさっさとどけてスペースを広くとり 必要なものを、好きなようにレイアウトして 必要なものを磨いたり 作業スペースを広く取って 新たなものを生み出したほうがいいなぁとしみじみ感じているので 嫌な感情を引きずりそうな時は、 「は〜い、クレンジングクレンジング 汚れを落としてお肌を柔らかく、 血流を良くしましょう!」 と考えることにしています。 さあ、残りの一回は湯船に浸かってゆっくりしてまいりまーす!

公園にいたお多福美人


今日は実家で 朝から体操をしたり、 掃除をしたり、 畳の上でごろごろしたりして、 のんびり命の洗濯をしていました。 こんなことが出来るのも、母が朝ごはんを作り洗濯をしてくれるから。 なんて言うと、 実家以外ではバッチリいろいろこなしてそうですが・・ image 実際は、人様の力をどれだけお借りしているか。 借りていると言うのは表現に不足ありで、 私の家事育児は、 半分以上が人様のお力のおかげで成り立っています。 思い返せば、 私は幼い頃から、年上の女の人に随分お世話になってきました。 昔の女の人って、 どうしてこんなに懐が深いのでしょうか。 私の大好きな岐阜のお母さんは、 昨年私が栗きんとんが好きだと言っていたのを覚えていて下さって、 今年、手作りの栗きんとんをわざわざ作ってくださいました。 私が年を重ねても、こうはなれないといつも思います。 image そしてもう1人、 岐阜の大好きなおばさんは、 私が仕事で家を留守にするたびに、 お母さんといっ息子を車で迎えに行ってくださり、 おいしいご飯を作って息子の相手をしてくださいます。 「私は若い時もっと苦労したのよ。 甘えてないで自分の力でやりなさいよ」 と言うこともできるのに、 いつもいつも助けてくださる。 お二人とも、80歳を超えていらっしゃいますが まさしくお多福美人です。 私もこんな風になれるだろうか・・・ なりたい! といつも思います。 お昼からは近所の公園に 子供とそのお友達、 お友達のお母さんと出かけました。 そこでもまた、 お多福美人に遭遇。 子供の遊んでいる遊具から、 見知らぬ子供の赤いクロックスが落ちてきて ある女性の身体やカバンの上に乗ったのです。 私なら 「なんやこら〜!」 と一瞬思い 「これではいけないいけないワ」 と、とっさに ひきつった笑顔を作りつつ クロックスを渡すだろうなと想像がつきます。 ところが実際に靴をかぶった女性がどうしたかと言うと… 靴がコロコロと転がり落ちるのを見て 少女のように楽しそうにケラケラ笑ったのです。 嗚呼、なんて心が美しい。 正しい、正しくない を超えたところ、 愛とか、思いやりとか、茶目っ気とか そんなところに、 お多福美人の秘密があるのだろうと思います。 きまりや常識、 こうあるべきを超えて、 どれだけ自分を深く柔らかく耕して行けるか。 いつもお手本は周りの女性です。

おいしいものとお酒で綴る山形 初めての食編



image   どうして、天ぷらそばが初めて食べるものなのだとお思いでしょ? 山形の天ぷらは、天ぷらがゲソ天なのです。 山形に着いてすぐ、空港でいただいたこの天ぷらそば。 とてもおいしかったです。 地元のお蕎麦屋さんは、そばが立つほど太くて、 ゲソもとてもワイルドだそうです。 次は、ワイルドなゲソ天そばに挑戦してみます(*^^*)   image 写真のご飯の上に乗っているのが通称「だす」 だしの事だそうです。 キュウリやナスやネギ コンブワカメやオクラなど いろんなものを細かく切って だし醤油に漬けたもの。 ホテルの男性が、2日酔いにぴったりだと教えてくれました。 ちなみに私は、二日酔いではありませんでしたよ! いちど食べてみたいと思っていたので、感激でした。 遺伝子にしみわたるような美味しさ! 車麩の炊いたのもとてもおいしかったです。 我が家でも車麩はよくいただくのですが、 やっぱり本場の車麩はおいしかった! image   そして、山形最後にいただいた芋煮セットの中に この小鉢がついておりました。 緑色のぷっくりしたものは、ミズと言う山菜の実だそうです。 サクサクしてあっさりして、体がきれいになりそうでした。 沢のようなところに生えているそうです。   日本には、まだまだ知らないおいしいものがたくさんあるのだなと思いました。 山形の美味しいものは、しみじみと魂に訴えかけるような優しいものが多かったです。 その食が、あの優しいく素朴な山形の方々を育んでいるのだなぁと感じました。 また山形にきっと伺いたいです。